シンプルでいること
私自身はプレゼンをする機会はないのですが、他社の発表を観る機会が続いたので魅力あるプレゼンとは何か?みたいな事を想い・・・ガー・レイノルズ氏のシンプルプレゼンテーションを借りました。
このパッケージデザインはうーん、な感じですけれども・・・
シンプルにそぎ落とす事、(シンプル過ぎない事)、ビジュアルに訴える事で記憶に残せる・・・等をちょっとしたジョークやワークショップで聴衆と一体になりながらプレゼンを進めていきます。
一方的でない事。聴衆に共感し、共感させる事。
これは多分、普段の仕事・人間関係すべてに共通する事で誰かに何か聞いて欲しかったら、まず相手に共感してから、だということかもしれません。
共感力。
人を動かすにはここが肝。
他に重要な要素として、シンプルである事。
シンプルでありながら、単純ではなく奥深い。
これは私の目指したい方向です。くだらないのですが、自分の中に基本方針5項目ってのがありまして。
1 俯瞰できること
2 感情的にならないこと
3 友達は大事に
4 変化は楽しむ
5 シンプルでいること
こんなことでも自分自身に謳ってあげないと、私はどーもごちゃごちゃしてしまうんです。表面には出にくいタイプですが、感情的でネガティブで保守的で執着しやすい。
そこから離れることができるように、行き詰ったら基本方針を念仏のように唱えるんです。(笑)
ガーさんのようなあたたか味がありながら、なおかつ理路整然としているプレゼンには遥かに遠い私の思考。まだまだそぎ落としていけるかな。その前に無駄に気が付かないといけません。
夫婦でいることの意味
父が事故で入院して、母が病院へ日参して世話をしている。
私が小学生の頃には両親は既にあまり仲が良くなかった。父は単身赴任で3,4年ごとに海外へ行き、たまに日本に帰ってくるという半母子家庭のような生活をしていた。
仲良くなくても、冠婚葬祭、学校の行事等は淡々とこなす父と母。
父が用意している赴任前のスーツケースに避妊具が入っていても、「男だからね」的に「日本製はいいらしいわ」と表情変えずに空港まで見送り、責めることなく、時々手紙や日本食を送ってあげていた。
二人で仲良く何か一緒にする、とか両親が2人で楽しそうだな、とかはあまり記憶がない。
母は多分、金銭的な面、父親という存在が私には必要であったろうことで自分の気持ちは一番後回しにしてきたんだろうと思う。
かといって、母には悲壮な耐える女、みたいな感じはない。
時々カラリ、と毒を吐いたり、友達と遊びにいったりどこか自由な感さえある。
ここへきて思うけれども、夫婦とは最早好きとか嫌いとかじゃないのかもしれない。
生活共同体。
私自身が経験した結婚はどこまでも自分の気持ちに忠実でありたい、という結婚だった。いかに自分がどう感じるか、っていう。自分どう感じるかを相手に伝えるのは大事なことではあるけれど、ある意味私の気持ちを受け取ってというエゴでもあるし、支配でもある。
母はその点では私とは違うのだろう。
あれだけ酒にのまれて好き勝手にしている父を世話できるのは愛というより義務感からだと思うし、それは長い間夫婦として過ごしてきた慣習みたいなものなんだろうか・・・・
結局、恋愛どうのこうのいっても、それは一時の感情のうねりでそれが一生続くことはない。男女の間で最も大事なことって、自分の人生を任せられることなのかしら・・・と、母を見て思う。
幸せなのかどうか、はよくわからない。でも、母がよければそれでいい。
半熟卵女
9月。
前回から1ヶ月経っているのが恐ろしい。
8月というのは私にとってはぽっかり穴の空く時期で、仕事のピークを過ぎる子供たちが夏休みに突入して気が抜ける。
普段身動きできない分、反動で誘われるがままに飲みに行く、というふわふわとしている時期。
ゲスト的な知り合いとも飲んだりするので、ああ、無駄な酒と金と時間だったな、ということもある。
子供の友達のお母さん同士の飲み会。この時期じゃなかったら、行かなかったかな?と思うような薄い付き合いの人。
でも、ちょっと面白そうかな?と思ってたのだけども。
「わたしさー、学生の時から女同士で一緒にトイレに行こうとか誘われるのが
めんどくさくてー。女子って感じでさ?トイレくらい一人で行きたいじゃん?」
・・・・おっと、久々に登場。自称サバサバ男前女。
実は、こういう女こそ一番メンドクサくて女っぽかったりすんだよ!
(余談ですが、男性経験がないとある女性が、私男っぽいからさ!と
豪語しているのを見て男性を知らないのに自分を男っぽいというのは
なんだか不思議な感じがするなあ、と思ったことがあります)
この裏に実は誰からも「おトイレ一緒にいこ!」に誘ってもらえなかった
捻じれた心理が隠れていたりして、まんま言葉通り受け取ってはいけない、それこそ
怖い女の世界が潜んでいたりする。
(実際に一人が好きな人もいますので、そのあたりは普段の振る舞いから判断するしかありません)
トイレに一人で行きたい、といっている人に授業参観一緒にいこ!と誘われたりするのは私の社交のハンドルが音痴だからなのでしょうか・・・・
女性らしさに気を遣っている人こそ、お互いの関係の距離感や空気をわきまえている気がしますけども。
見た目の殻が硬派でも中身はドロッとした半熟卵女。
味付けによってはお互いにいい関係になれるんかしら。
愛は証明されたんでしたっけ?
「ぼくは愛を証明しようと思う。」
週刊金融日記、藤沢数希の恋愛工学がついに本になったのね・・・とどこか怖いものみたさで読みました。
恋愛工学とは、どれだけ最短距離で確実に多くの女性と関係を持てるか、のハウツーみたいなもの、っていえばいいのかしら。
非モテコミット、フレンドシップ戦略、友達フォルダ、ヒットレシオ、タイムコンストレイントメソッド、スタティスティカル・アービトラージ戦略、セックストリガー、ACSモデル・・・
恋愛工学用語、面白い!
いかに女性の警戒心を解いてコンプレックスに訴えかけて、相手に選択肢があるようにみせかけ・・・コントロールの主導は実はこちら側、みたいな心理作戦はなるほどなあ、と思うし、何でもない会話をしながらも実は計算されていて、初めから回答が導き出されるように仕組まれていたりとか。・・・へえ、って素直に関心。
女性の心理をよく見抜いていると思った。
これは、男性は一度読んだ方がいいのかも。
ザ・技術。数多くセックスするための技術。
モテることを目的としたいならその技術を習得するのは別に悪い事じゃない。それはテニスやゴルフがうまくなりたい、って思うのと同じ心理じゃないかと思う。
恋愛だのあーだのこーだのいっても、男性性って数多くメスと交尾したい、という本能には逆らえない生き物なのだなあ。
私の彼は浮気なんて絶対しない、私だけを愛しているの!っていう脳内お花畑の自称女子力高い人は現実を知るために、穴に竿さすまでの恋愛ゲームがしたい男性は効率上げるために必読。
女性だってルールズだの小悪魔本だのあるわけで、どっちもどっちだな。
で、結局お互いばかしあって何がしたいんだっけ?
考える事、書く事、伝えられる事
せめて週一で書くことを習慣にしたいのだけれども、以前のように毎日書くことがなかなできない。思考が停止している証拠だ。読書の数も落ちているなあ、と思う。
読書はその読んでいる過程もいいのだけれども、読後、いろいろ物語や内容に思いを馳せたり、関連した情報や書物を探したりするのも醍醐味だと思う。最高なのは、その本の中にうまい言い回しや言葉遣いがあるとすごく得した気分になったりする。
子供の頃は父親が読書家だった影響で、私もよく本を買ってもらい読んでいた。活字を追う、ということが生活の一部で国語のテストは予習や復習をしなくてもほぼうまくいった。代わりに算数は興味がなく、平均レベルを右往左往していた。そんな私が今は会社の数字をいじくっているなんてなんか不思議だな、と思う。得意だと思う事と、周りから向いている言われることが違うというのはよくある事だと思う。
自分が勝負できる場所は決して好きな事をできる場所ではない、ゲスにいえば儲けられる仕事につきたかったら、自分の必要とされるマーケットを見極めろという事だ。
私の子供たちは日本語と英語と少しのスペイン語が混ざった日常を送っている。
私とは少々アタマの中身が違っている、ように見える。しかし、脳ミソのキャパシティは親譲りで大して容量がないので、日本語以外の言語でメモリをくってしまい、肝心の日本語のニュアンス、特に書くことの成長が遅い。自分の得意だった国語、日本語を自分の子供たちが正しく理解していないという事実がどうもしっくりこないのだけれども、瞬時に英語のチャンネルに切り替わるその速さや苦労することなく英語テレビを見ている姿はその代償なのだろうか、とも思う。
書くことが苦手な子供たち。書くことは考えた事をアウトプットする大事な手段。
書けぬ事が考えられぬ事にならないよう、かーさんとしてはなんとか書くことを覚えさせたい。厳しくして嫌われても、自分のマーケットを考えて見つけ出してなんとか生き抜けるように。
手作りだからなんだというのだ
子供がバレエ教室に通っていたころ、発表会向けの衣装を作る事になり、手作りと聞いただけで鳥肌がたったのだが、普段仕事で土日しか子供と向き合っていない私は、罪滅ぼしのために慣れない針仕事を「私なりに」頑張った。
だが、向き不向きってある。
ミシンの使い方すらもう覚えていない。衣装の型紙すらうまく切れない。ボタンホールなんてまさか作れない。下手な合コンより苦しい。
なもんで、全く進まず。
かたや、家事全般子供の洋服なんて作るの訳ない、っていう奥様。本当に素晴らしい。こういう人が家庭にいたら、仕事に打ち込めて安心して働けるなあ、って思う。
友人に愚痴ると、そこはふつうそういう奥さんになりたいなあ、っていうんじゃないの?ってつっこまれるけど、私は家にはいれない気がするので・・・
結局、その素敵奥様たちの手を借りてなんとか衣装を作成するも。そうとうに遅れてしまっていた。いいわけすれば、平日9時すぎにボロ雑状態で帰宅する私に苦手な針仕事しろ、って苦行です。
遅れている衣装の作業に衣装担当の先生からいわれたこと。
「徹夜してでもやってください」
もう、無理だとおもった。やめようって思った。
ただ、発表会は共同作業なので途中でやめるとはいえない。
徹夜しろ、って・・・・
くだらねえ。
たかが衣装で徹夜って。だったら最初から外注だせばいいんじゃないか。
何が嫌って、その母親神話みたいな手作り絶対神話みたいなやつ。
ホント、くだらねえ。
手作りで手間暇時間かけた方が愛情があふれてる!みたいなのが
もうアレルギーです。
やりたい人はやればいいけど。出来ない人もいるんだよ!
手作り嫌いな人もいるのー!
バレエの衣装なんて私にハンドルできるほど器量がなかったと思ったので、発表会を期に娘には申し訳ないがやめることにした。
お互いにイライラしながら続ける必要はないのだし。
・・・って、やめちゃるわ!と息巻いていたのですが。
なんと、バレエ教室の方が閉鎖に。
私の他にもクレームついたようで、生徒ごっそりやめるとか保護者同士のもめごとがあったそうな。
後味悪いけど、子供には教室がなくなったよーっで言い訳が出来た。
また、バレエやりたいっていわないで、とそれだけ祈っている。
露出と隠蔽のあいだ
またFacebookネタですが。
私は友人はあまり多くないし、元々社交的ではないのでFacebook上の友人も
多くありません。たまに1000人近く友人がいる人とかなんか、ギョっとしますが
私とは人付合いの距離感が違うんだな、と思っています。向こうもあ、友達少ない・・・・可哀想な人、くらいに思っているかも。
Facebok上ですべての人に受ける記事や写真をUPするのは至難の業です。
特に子育て初期のマザーボルテージ全開のおかーさんたち、自称恋愛至上主義のおねーさんたち、要注意。
自分だけが気持ちいい更新は公開〇ナニーと一緒だからね。
サービス満点は安売と背中合わせ。
本日ビックリしたのは、育児奮闘中の後輩が母乳を搾乳して、哺乳瓶に入れて
「今日は160mlでました!」と笑顔でその搾乳した母乳をUPしているその光景。
彼女の友達数百人がそれをみているわけです。
育児中って、特に産まれてから2,3年の間って長い育児期間の中でも
特別だと思うんです。自分が母親になるっていう気負いとかストレスとか、
子供の可愛さとか、すべてが初めてづくしで、テンションがちょっと質の違うものになる。子供にほとんどの神経が集中する。
人前で授乳もあんまり抵抗なくなりますからね・・・・搾乳くらいどうってことないかもしれない。
掲げられたその母乳。
私にはとやかく言う筋合いはないけど、やっぱ、驚いちゃうよ。
どこかみてはいけないものだったような・・・