ドクダミ系つぶやき日記

くすぶりながら転がりながら日々の思う事を。

体重と共に

ダイエットを始めた。

 

ダイエットをするのは実は初めてだ。

食べても食べなくても大体いつも健康診断では同じような体重で、妊娠していた時を除けば増減1,2キロ程度だった。

 

油断していた。自分が中年だという事を!

すべての事に無頓着な父親に「おい、太ったんじゃないか?」といわれ,

慌てて体重をはかった。1年前から4キロ増えていた事が発覚。

 

本当にびっくりした。

WTFってホントにこういう時に口からでるものなのね・・・カブレ―テル王国万歳)

こうやってみんなマルくなっていくんだな・・・と妙に納得するのと同時に、持っている服が全部合わなくなるんじゃないかという恐怖。

(服を選んだり考えたりするのがひじょーにメンドクサイので、毎日おんなじ白いシャツとジーンズで出勤したい思っている。考えなくていい。)

 

身内の指摘というのはうそがない。聞いておくものだ、と思った。

なんにも見えていないと思っていた父をバカにしていた私がバカだった・・・

 

朝 果物、野菜、ヨーグルト、炭水化物少々

昼 鍋 おでん系

夜 豆乳スムージー

週末にテニスとジョギング、筋トレ

 

というメニューを自分に課すことにして、10日・・・・

 

とりあえず2キロは落ちたけど、もともと甘いものが大好きなので

おやつが食べられないというのが苦しい。

すべての感覚が食欲に集中しているので、性欲が全くないのもなんか興味深いし、

一切合切の事がどうでもよくなったりする。精神的にもある意味ダイエットなのかもしれない。無駄な感情もいっそのことなくなってほしい、体重と共に。

 

秋が深まる頃にはサイズダウンして、無造作に伸びた髪も気持ちも整えたい。

どうかこれ以上太りませんように・・・

 

堂々巡り

時々気になったことがあったりしたときに軽くノートをつけていた。これもまた気ままに断続的に。半年空いたり、毎日一行書き留めたり。このところすっかり忘れていたのだけど、えらい久しぶりに、昨日ふと読み返してみた。

 

ずっと気になっている事があった。自分の力だけではどうすることもできない事。3年くらい前から始まってぼんやりと気になっている事。

ノートにもそう綴っている。

 

で。3年掛けてこの事体がどうなったかっていったら、どうにも前進すらもしていなくて、あまりの堂々巡りさ加減に驚いてしまった。3年前も今も同じだ。

驚くというか、自分の成長のなさと改善できない頭の悪さに、あきれる。

 

この年になって成長もクソもないのだけど、成熟していきたいと思っている。

成熟とは真逆。精神が腐敗してんじゃないか、すら思う。

望んでも働きかけても変わらない出来事は、期待しても空回りするだけ。

結局変えられないのだ。

 

変えられない、という事を受け入れたら、変わるのかな。

目指すところはそこだな、今は。

 

 

タイミングとかの問題

タイミングというのは本当に大事だと思う。

すべてはそれによる、といってもいいんじゃないかと思うくらい大事だな、と思う。

 

そういう流れになっていないのに無理やり自分の気持ちのケリをつけたいだけで

物事を押すと、必ず歪みがでる。そのときはうまくいったとしてもだ。返って後から

大きな代償を払うことになったりして、自分のしたことのなりゆきを反省したりする。

ダメな時はダメなのだ。気持ちを収めることも必要だなと常に思う。

アンテナを張っていれば、また次のタイミングをつかむこともできる、と自分に言い聞かせる。

 

私はまったくスピリチュアルなタイプではなく鈍感に生きているけれども、偶然のタイミングは意外と信用する。ああ、このタイミングできたか、ってことはこっちに行く方が流れなんだな、みたいな。

渦中では気が付くことはできないんだけど、そのタイミングにある渦に巻き込まれている間はなぜか時間がゆっくり流れているような気がする。

今、自分がその渦の中にいるのかどうか、後数か月したらわかるだろうか。

 

距離と時間と

他人との距離の置き方というのは誰から教えてもらうものなんだろう。

一番身近にいる母親からだろうか。母親のコミュニケーション能力というのが

子供に影響するのは間違いない。でもそれだけではないな。

 

流れている時間というのも人それぞれで、今か今かと待っていれば長く感じるし

気にもかけない程度ならあっという間に過ぎていくもの。

いやだなあ、と思うのは「なぜ会えないのか」を問い詰めてくる人。会いたくないから

会わないのだし、自分の都合を私に投げて受け止めてくれることをいつもいつも期待されるのはごめんだ。時間の都合をつけないのは、忙しい最中にそこに労力をかけたくないからだ。会わない理由を聞き出して、それがなんになるというのだろう。

仕事や家庭の事情で身動きできないこともあるし、流れている時間は皆同じだが、体感している時間の長さは皆それぞれだ。

とはいえ、逆の場合もある。

こちらは会いたいなあ、と思って連絡しても今月は厳しい、と無下にされてしまうと

えー、そっちから飲みに行こう、っていってたのに?と思わず問い詰めてしまいそうになる。

自分が問い詰められたときのなんともいえない窮屈感を知っているので、「忙しかったら無理しないで」などと心の中とは真逆のことを伝えたりする。

また、会いたいなあ、と思ってもらうにはそういうしかない。そして、なんとなく連絡を待ってしまう。待つのは嫌いではないけど、気持ちが消耗する。

 

私は人との距離を詰めるのが苦手だし、議論もあまり得意ではない。ちょうどよい距離感を作りだすのに時間がかかる。受け身になってしまう部分もあり、改善したいという

思いから空回りしてしまうこともしょっちゅうだ。

 

気負いせず距離感が掴めるようになるのは一体いくつになったらできるんだろう。

この年ではもう絶望的なのかしら。

 

 

妻という事

妻というポジション。妻である、というポジション。

 

ある程度月日を重ねていくと、男女の関係は友情のようなきょうだいのような、会わなくてもやきもきしたりしない距離感になっていく。

二人の間にある情、は水みたいに器が変われば形も変わって、途中乾いたりこぼれたり

月日が長くなる分だけそのあり方は変化していく。

 

人の生き方と一緒で夫婦のあり方もいろいろ。

 

ぶつかるときもある。

怒りを相手にぶつけても、コントロールできない、と分かったのはいつだったかな。

相手を受け入れる姿勢を見せないと怒りでは状況を変えることはできない。

頭にきたら、すぐぶつけない。文章にする。沈黙は弱さではない。

グレーの状態であることに不安を感じない。不公平で理不尽でも、気持ち次第では

どうにかなったりする。

 

ある一定の信用があれば、始終一緒にいることもなくてもいい。

すべてを正直に話す事が正当だとも思わないし、相手が望めば話を聞く。こちらも話しをする。相手を理解しようとする態度、(本当に理解などできないのだから)共通の目的があれば多分、うまくいく。

 

浮気に激怒したり、権利を主張したり。そういう事のために妻でいるわけではないでしょう?

 

妻というポジションにはすっかり興味がないのだけれども、誰かの大事な理解者、っていうのはなんだかとても価値のある事のような気がする。

 

想像力のなさが引き起こす事象

世の中がおススメする人生をなんの疑問もなく、歩んで、ほーら、

私、正しいでしょ?みたいな顔してわかったような事をいわれても、

もともとそういう生き方をしたい、と思っていない私にはなーんにも

意味がない、と早く気が付いてほしい。

(実家に子供預けたらかわいそう、とか保育園にいってるかわいそう、とか

その想像力のなさがかわいそうだよ。 )

 

 

いろいろな生き方があっていい。

家にいて専業主婦をしたいひともいれば、働きたい人もいる。個人的には一人で食べていけるくらいは稼げるような人とじゃないと、一緒にいても楽しくないし、どこも悪くないのに誰かの保護に入ってアクセサリーみたいに生きるのはなんとなく窮屈だな、と思うけど。置かれたポジションというのもあるだろうし。人さまの生き方に何かを言える義理ではないので否定はしない。けど、肯定もしない。

それぞれでいい、私も違う視点からみたら、子供との時間を犠牲にして働いでいるろくでもない母親だろうから。

 

私が見てきた世界とあなたの見てきた世界は違うのだから、選択が違ってもそれは当然のこと。想像力のなさから、私が生きてきたやり方を否定して、自分の虚しさを埋める材料にしないでね。私は私、あなたはあなた。

見えているようには見えていないかもしれない

なんとまあ、最後に書いたのが昨年の10月。今、4月だから、約半年近くも離れていたのかと思うと少し驚く。

 

去年の10月から今までにはそこそこうねりのある出来事があったり、気持ちの整理が難しいな、と思うことも多々あったなあ、と思う。

ささいな誤解が続いたこともあって、自分が感じているように他人は感じていないのだな、という事を最近特に実感する。

皆、自分が経験してきた事の上に判断をし、それぞれの価値観を持つわけだから、言った事がうまく伝わらなかったり、そういう意味で接してきていないのにな、という事はあって当然なんだけど、でも、やはり分かってくれるんじゃないか、前提で話をしてしまっていて。そんでもって、時々反撃に遭って、凹む。びっくりして、それまで保っていた距離が間違っていたのかと思って、一気に距離を取って警戒する。それが私のいつもの防衛術なんだけど、果たしてそれがお互いにとっていい方法なのかはわからない。

自分が楽になりたいのと、頭を冷やしたいので近づきたくなくなってしまう。

慎重に言葉選んで、距離を保ちながら進めてきた事、いきなりひっくり返ってしまって、ひるんでいる。何かどこかで解釈を間違えたのか、元々勘違いしていたのか。

 

さて、ここからどうしようか。

自分が見えてる世界は、実は自分が考えているようには存在していないのかもしれないな、とかいろいろ考える。

だから、人も同じ。

自分の見えているようには見えてないのだ、と思っている方が多分、正しい。