ドクダミ系つぶやき日記

くすぶりながら転がりながら日々の思う事を。

時間が解決するものは

彼女とは長い付き合いで、元々私の学生の時の友人の知り合いでもあり、一緒にいろいろ乗り越えてきた人。

頭もスタイルもよくて、繊細で、本が好きでおしゃべりで、酒飲みで、よく

気の付く、魅力的な人だった。本当にいろんな話をしたし、お互いに大変な時期は

励ましあったいい友達だった。みんな彼女と話をしたいと思っていたし、私も彼女がとても好きだった。

 

20代後半から仕事が多忙になり、人間関係も複雑になり、友達だと思っていた人が彼氏と結婚してしまったり、(略奪、てやつかしら)彼女にはつらい時期が重なった。

いつのころからか、メールが長くなり、まとまりがなくなり、スクロールしきれないくらいのメッセージを何度も送ってくるようになった。朝から晩まで。

男性関係も脈絡なくなって依存気味になっていたし、記憶がなくなるまで毎回飲むし、

警察沙汰にもなってしまっていたし、何が彼女に起こっているのかわからなかったけど、以前とはなにかあきらかに違う、と私も周りの人も感じていた。

 

危なっかしい。死んじゃうんじゃないか。

変調はいよいよ加速しはじめて、ある日のメールには

「私、盗聴されているから、電話局に調べてほしい」

と書いてあった。

 

彼女はある病気にかかっていた。

はっきりと何がおかしい、とは私にはわからなかったのだけれども、会話や解釈の仕方が微妙にずれている感覚、被害者意識に囚われすぎていて、一緒にいるのがもはや苦痛に感じた。当時、私にできることはなくて、ただ本人と共通の友人と話をするぐらいしかできなかった。

 

その後、彼女は長い時間をかけて症状を克服した。

その努力はとても大変だったと思うし、家族のバックアップもあったと思う。

完全に以前のようには戻らないのを感じるけど、前にちゃんと進んでいく決意をした

彼女は本当にすごい人だと思った。

 

でも、完全に治るというのは難しい症状のようだ。

先日、ちょっとした見解の違いですれ違ってしまった。注意をしていたつもりだったのに。会話に違和感があったときに引き返せばよかった。もう遅い。

過去の触れてはいけない出来事にピン留めされたように、べったりと執着している。

彼女はそのデティールから離れない。その事象は20年近く前の事なのに、事細かな詳細を並べ立てるその口調はある域の狂気だと思った。今を生きてないと思った。

あげくには私にはその気持ちはわからない、と。

 

わかるはずはない。

私たちは別人だし、それぞれの人生を自分の選択の上に生きている。同じように理解できるなどあり得ない。誰の人生が一番つらいか、ベストな生き方とか一体だれが決められるんだろう。

もう、以前みたいに他愛無い会話すらできなくなってしまうんじゃないかと思う。

私らの友情って一体何だろう、こんな風にお互いにわかるわけない!と違う方を向いてしまうなんて。

 

彼女には連絡することすら、今は怖い。

時間、て。それ解決する?

 

 

体重と共に②

人生初のダイエットを始めてそろそろ一か月くらい経つだろうか。

二度見してしまうほど増えていた体重に驚いて、慌てて始めたダイエット。

最初の2週間は焦ったり、伸びきった胃が発信する食欲に振り回されて悩ましい事然りだったけれども、ある程度は、慣れてきたような気がする。

 

仕事と家事を終えてから毎日2キロ走る。週末は気持ち長く走る。つらい時もあるけど、季節が穏やかな今、楽しみでさえあるから不思議なものだ。疲れてよく寝れる。

(とはいえ、すぐに体重が落ちるわけでもないのが残念・・・)

 

プロテイン飲んだり、酵素を飲んだり、なんか今までにない自分感覚が面白い。

もともとストイックになりきれない、一極集中できない私だけれども、いくつかの事を

平行させて継続させるのは好きなので、食事制限の内容を考えたり、ジョギングとテニスのバランス、筋トレを日常にちりばめながら、メニュー考えてボツボツやっていくのはなかなか楽しい作業だ。

一人でできる作業だし、誰かの都合にあわせなくてもいい。いずれは結果のでる事だというのもいい。

 

なんて無駄に間食してたんだろう、と思う。砂糖中毒だった脳内も少しは引き締まっただろうか。

モノを捨てるだけが断捨離でもないんだな。思考や食事ももっとシンプルにできるのだろう。

 

いつまでできるかわからないけど、今のワクワク感がもう少し続きますように。

 

体重と共に

ダイエットを始めた。

 

ダイエットをするのは実は初めてだ。

食べても食べなくても大体いつも健康診断では同じような体重で、妊娠していた時を除けば増減1,2キロ程度だった。

 

油断していた。自分が中年だという事を!

すべての事に無頓着な父親に「おい、太ったんじゃないか?」といわれ,

慌てて体重をはかった。1年前から4キロ増えていた事が発覚。

 

本当にびっくりした。

WTFってホントにこういう時に口からでるものなのね・・・カブレ―テル王国万歳)

こうやってみんなマルくなっていくんだな・・・と妙に納得するのと同時に、持っている服が全部合わなくなるんじゃないかという恐怖。

(服を選んだり考えたりするのがひじょーにメンドクサイので、毎日おんなじ白いシャツとジーンズで出勤したい思っている。考えなくていい。)

 

身内の指摘というのはうそがない。聞いておくものだ、と思った。

なんにも見えていないと思っていた父をバカにしていた私がバカだった・・・

 

朝 果物、野菜、ヨーグルト、炭水化物少々

昼 鍋 おでん系

夜 豆乳スムージー

週末にテニスとジョギング、筋トレ

 

というメニューを自分に課すことにして、10日・・・・

 

とりあえず2キロは落ちたけど、もともと甘いものが大好きなので

おやつが食べられないというのが苦しい。

すべての感覚が食欲に集中しているので、性欲が全くないのもなんか興味深いし、

一切合切の事がどうでもよくなったりする。精神的にもある意味ダイエットなのかもしれない。無駄な感情もいっそのことなくなってほしい、体重と共に。

 

秋が深まる頃にはサイズダウンして、無造作に伸びた髪も気持ちも整えたい。

どうかこれ以上太りませんように・・・

 

堂々巡り

時々気になったことがあったりしたときに軽くノートをつけていた。これもまた気ままに断続的に。半年空いたり、毎日一行書き留めたり。このところすっかり忘れていたのだけど、えらい久しぶりに、昨日ふと読み返してみた。

 

ずっと気になっている事があった。自分の力だけではどうすることもできない事。3年くらい前から始まってぼんやりと気になっている事。

ノートにもそう綴っている。

 

で。3年掛けてこの事体がどうなったかっていったら、どうにも前進すらもしていなくて、あまりの堂々巡りさ加減に驚いてしまった。3年前も今も同じだ。

驚くというか、自分の成長のなさと改善できない頭の悪さに、あきれる。

 

この年になって成長もクソもないのだけど、成熟していきたいと思っている。

成熟とは真逆。精神が腐敗してんじゃないか、すら思う。

望んでも働きかけても変わらない出来事は、期待しても空回りするだけ。

結局変えられないのだ。

 

変えられない、という事を受け入れたら、変わるのかな。

目指すところはそこだな、今は。

 

 

タイミングとかの問題

タイミングというのは本当に大事だと思う。

すべてはそれによる、といってもいいんじゃないかと思うくらい大事だな、と思う。

 

そういう流れになっていないのに無理やり自分の気持ちのケリをつけたいだけで

物事を押すと、必ず歪みがでる。そのときはうまくいったとしてもだ。返って後から

大きな代償を払うことになったりして、自分のしたことのなりゆきを反省したりする。

ダメな時はダメなのだ。気持ちを収めることも必要だなと常に思う。

アンテナを張っていれば、また次のタイミングをつかむこともできる、と自分に言い聞かせる。

 

私はまったくスピリチュアルなタイプではなく鈍感に生きているけれども、偶然のタイミングは意外と信用する。ああ、このタイミングできたか、ってことはこっちに行く方が流れなんだな、みたいな。

渦中では気が付くことはできないんだけど、そのタイミングにある渦に巻き込まれている間はなぜか時間がゆっくり流れているような気がする。

今、自分がその渦の中にいるのかどうか、後数か月したらわかるだろうか。

 

距離と時間と

他人との距離の置き方というのは誰から教えてもらうものなんだろう。

一番身近にいる母親からだろうか。母親のコミュニケーション能力というのが

子供に影響するのは間違いない。でもそれだけではないな。

 

流れている時間というのも人それぞれで、今か今かと待っていれば長く感じるし

気にもかけない程度ならあっという間に過ぎていくもの。

いやだなあ、と思うのは「なぜ会えないのか」を問い詰めてくる人。会いたくないから

会わないのだし、自分の都合を私に投げて受け止めてくれることをいつもいつも期待されるのはごめんだ。時間の都合をつけないのは、忙しい最中にそこに労力をかけたくないからだ。会わない理由を聞き出して、それがなんになるというのだろう。

仕事や家庭の事情で身動きできないこともあるし、流れている時間は皆同じだが、体感している時間の長さは皆それぞれだ。

とはいえ、逆の場合もある。

こちらは会いたいなあ、と思って連絡しても今月は厳しい、と無下にされてしまうと

えー、そっちから飲みに行こう、っていってたのに?と思わず問い詰めてしまいそうになる。

自分が問い詰められたときのなんともいえない窮屈感を知っているので、「忙しかったら無理しないで」などと心の中とは真逆のことを伝えたりする。

また、会いたいなあ、と思ってもらうにはそういうしかない。そして、なんとなく連絡を待ってしまう。待つのは嫌いではないけど、気持ちが消耗する。

 

私は人との距離を詰めるのが苦手だし、議論もあまり得意ではない。ちょうどよい距離感を作りだすのに時間がかかる。受け身になってしまう部分もあり、改善したいという

思いから空回りしてしまうこともしょっちゅうだ。

 

気負いせず距離感が掴めるようになるのは一体いくつになったらできるんだろう。

この年ではもう絶望的なのかしら。

 

 

妻という事

妻というポジション。妻である、というポジション。

 

ある程度月日を重ねていくと、男女の関係は友情のようなきょうだいのような、会わなくてもやきもきしたりしない距離感になっていく。

二人の間にある情、は水みたいに器が変われば形も変わって、途中乾いたりこぼれたり

月日が長くなる分だけそのあり方は変化していく。

 

人の生き方と一緒で夫婦のあり方もいろいろ。

 

ぶつかるときもある。

怒りを相手にぶつけても、コントロールできない、と分かったのはいつだったかな。

相手を受け入れる姿勢を見せないと怒りでは状況を変えることはできない。

頭にきたら、すぐぶつけない。文章にする。沈黙は弱さではない。

グレーの状態であることに不安を感じない。不公平で理不尽でも、気持ち次第では

どうにかなったりする。

 

ある一定の信用があれば、始終一緒にいることもなくてもいい。

すべてを正直に話す事が正当だとも思わないし、相手が望めば話を聞く。こちらも話しをする。相手を理解しようとする態度、(本当に理解などできないのだから)共通の目的があれば多分、うまくいく。

 

浮気に激怒したり、権利を主張したり。そういう事のために妻でいるわけではないでしょう?

 

妻というポジションにはすっかり興味がないのだけれども、誰かの大事な理解者、っていうのはなんだかとても価値のある事のような気がする。