ドクダミ系つぶやき日記

くすぶりながら転がりながら日々の思う事を。

考える事、書く事、伝えられる事

せめて週一で書くことを習慣にしたいのだけれども、以前のように毎日書くことがなかなできない。思考が停止している証拠だ。読書の数も落ちているなあ、と思う。

読書はその読んでいる過程もいいのだけれども、読後、いろいろ物語や内容に思いを馳せたり、関連した情報や書物を探したりするのも醍醐味だと思う。最高なのは、その本の中にうまい言い回しや言葉遣いがあるとすごく得した気分になったりする。

 

子供の頃は父親が読書家だった影響で、私もよく本を買ってもらい読んでいた。活字を追う、ということが生活の一部で国語のテストは予習や復習をしなくてもほぼうまくいった。代わりに算数は興味がなく、平均レベルを右往左往していた。そんな私が今は会社の数字をいじくっているなんてなんか不思議だな、と思う。得意だと思う事と、周りから向いている言われることが違うというのはよくある事だと思う。

自分が勝負できる場所は決して好きな事をできる場所ではない、ゲスにいえば儲けられる仕事につきたかったら、自分の必要とされるマーケットを見極めろという事だ。

 

私の子供たちは日本語と英語と少しのスペイン語が混ざった日常を送っている。

私とは少々アタマの中身が違っている、ように見える。しかし、脳ミソのキャパシティは親譲りで大して容量がないので、日本語以外の言語でメモリをくってしまい、肝心の日本語のニュアンス、特に書くことの成長が遅い。自分の得意だった国語、日本語を自分の子供たちが正しく理解していないという事実がどうもしっくりこないのだけれども、瞬時に英語のチャンネルに切り替わるその速さや苦労することなく英語テレビを見ている姿はその代償なのだろうか、とも思う。

書くことが苦手な子供たち。書くことは考えた事をアウトプットする大事な手段。

書けぬ事が考えられぬ事にならないよう、かーさんとしてはなんとか書くことを覚えさせたい。厳しくして嫌われても、自分のマーケットを考えて見つけ出してなんとか生き抜けるように。