次、どうするか
嫌な事やショックな出来事というのは定期的にやってきて、そのたびに
ダメージを受けたり自分の不甲斐なさにしょんぼりしたり、思いあがっている
頭をガツ、っとやられる。
今回は本当にむき出しのエゴを投げられて驚いたのと、それに対しての自分の感情が嫌で仕方がなく、もう後がないというくらい、自身の在り方について考えさせられた。
気が付けていない事が多くてうんざりする。
それまで自分が全く安っぽくて薄っぺらで。
ああ、全く間違って生きてきたんだな、結局逃げてばっかりで楽な方へ流れていた事のツケがきたのだ。逃げ癖が付いているんだ、私の人生全般。
その時はベストだと思っていた選択も、執着と狭い視野からくるエゴにまみれた
ものだった。本当に自分を知らなかった事に呆然としてしまって、そうやって思った事を忘れてしまわないようにこれを書いている。
セラピー的に自分の目線をそらすことはできるけれども、それをやってしまっては
結局前と同じ自分だ。
自分の欲求を満たしたいがために人を操作することをなんとも思わない人、ほしいものを得られないとわかると途端攻撃して、貶める行為をしようとする。こういう人に関わり続けるのをやめなくてはいけない。
自分もそうなってはダメだ。彼らの欲求を埋めて自分が必要とされる満足を得られたとしても、それは対等ではないし、単に都合のいい道具というだけ。それは人間関係の情というのはなく、欲。欲求は際限ないし、
そこに承認欲求の照準を充ててしまえば、縛られ続け疲弊する。疲弊しても使われる自分に気が付かず相手のせいだと転嫁していては一生そこからはでられない。
責めなくてはいけないのは。
自分のエゴに穴が開いていて、それを相手のいいなりになることで充足を感じている、という事だ。いやだと思いながらなぜ関わり続ける?その薄っぺらい承認を得るために自分の時間を費やしている事にどんな価値があるというのだ。
今見えている感情は恐らく今まで避けてきた私のコンプレックスだと思う。
もう少し、向き合う。
なんというか、それまでの自分が遠く感じる不思議な感じだ。