ドクダミ系つぶやき日記

くすぶりながら転がりながら日々の思う事を。

妻という事

妻というポジション。妻である、というポジション。

 

ある程度月日を重ねていくと、男女の関係は友情のようなきょうだいのような、会わなくてもやきもきしたりしない距離感になっていく。

二人の間にある情、は水みたいに器が変われば形も変わって、途中乾いたりこぼれたり

月日が長くなる分だけそのあり方は変化していく。

 

人の生き方と一緒で夫婦のあり方もいろいろ。

 

ぶつかるときもある。

怒りを相手にぶつけても、コントロールできない、と分かったのはいつだったかな。

相手を受け入れる姿勢を見せないと怒りでは状況を変えることはできない。

頭にきたら、すぐぶつけない。文章にする。沈黙は弱さではない。

グレーの状態であることに不安を感じない。不公平で理不尽でも、気持ち次第では

どうにかなったりする。

 

ある一定の信用があれば、始終一緒にいることもなくてもいい。

すべてを正直に話す事が正当だとも思わないし、相手が望めば話を聞く。こちらも話しをする。相手を理解しようとする態度、(本当に理解などできないのだから)共通の目的があれば多分、うまくいく。

 

浮気に激怒したり、権利を主張したり。そういう事のために妻でいるわけではないでしょう?

 

妻というポジションにはすっかり興味がないのだけれども、誰かの大事な理解者、っていうのはなんだかとても価値のある事のような気がする。

 

想像力のなさが引き起こす事象

世の中がおススメする人生をなんの疑問もなく、歩んで、ほーら、

私、正しいでしょ?みたいな顔してわかったような事をいわれても、

もともとそういう生き方をしたい、と思っていない私にはなーんにも

意味がない、と早く気が付いてほしい。

(実家に子供預けたらかわいそう、とか保育園にいってるかわいそう、とか

その想像力のなさがかわいそうだよ。 )

 

 

いろいろな生き方があっていい。

家にいて専業主婦をしたいひともいれば、働きたい人もいる。個人的には一人で食べていけるくらいは稼げるような人とじゃないと、一緒にいても楽しくないし、どこも悪くないのに誰かの保護に入ってアクセサリーみたいに生きるのはなんとなく窮屈だな、と思うけど。置かれたポジションというのもあるだろうし。人さまの生き方に何かを言える義理ではないので否定はしない。けど、肯定もしない。

それぞれでいい、私も違う視点からみたら、子供との時間を犠牲にして働いでいるろくでもない母親だろうから。

 

私が見てきた世界とあなたの見てきた世界は違うのだから、選択が違ってもそれは当然のこと。想像力のなさから、私が生きてきたやり方を否定して、自分の虚しさを埋める材料にしないでね。私は私、あなたはあなた。

見えているようには見えていないかもしれない

なんとまあ、最後に書いたのが昨年の10月。今、4月だから、約半年近くも離れていたのかと思うと少し驚く。

 

去年の10月から今までにはそこそこうねりのある出来事があったり、気持ちの整理が難しいな、と思うことも多々あったなあ、と思う。

ささいな誤解が続いたこともあって、自分が感じているように他人は感じていないのだな、という事を最近特に実感する。

皆、自分が経験してきた事の上に判断をし、それぞれの価値観を持つわけだから、言った事がうまく伝わらなかったり、そういう意味で接してきていないのにな、という事はあって当然なんだけど、でも、やはり分かってくれるんじゃないか、前提で話をしてしまっていて。そんでもって、時々反撃に遭って、凹む。びっくりして、それまで保っていた距離が間違っていたのかと思って、一気に距離を取って警戒する。それが私のいつもの防衛術なんだけど、果たしてそれがお互いにとっていい方法なのかはわからない。

自分が楽になりたいのと、頭を冷やしたいので近づきたくなくなってしまう。

慎重に言葉選んで、距離を保ちながら進めてきた事、いきなりひっくり返ってしまって、ひるんでいる。何かどこかで解釈を間違えたのか、元々勘違いしていたのか。

 

さて、ここからどうしようか。

自分が見えてる世界は、実は自分が考えているようには存在していないのかもしれないな、とかいろいろ考える。

だから、人も同じ。

自分の見えているようには見えてないのだ、と思っている方が多分、正しい。

シンプルでいること

 私自身はプレゼンをする機会はないのですが、他社の発表を観る機会が続いたので魅力あるプレゼンとは何か?みたいな事を想い・・・ガー・レイノルズ氏のシンプルプレゼンテーションを借りました。

f:id:itaimono:20151019104422j:plainこのパッケージデザインはうーん、な感じですけれども・・・

 

シンプルにそぎ落とす事、(シンプル過ぎない事)、ビジュアルに訴える事で記憶に残せる・・・等をちょっとしたジョークやワークショップで聴衆と一体になりながらプレゼンを進めていきます。

一方的でない事。聴衆に共感し、共感させる事。

これは多分、普段の仕事・人間関係すべてに共通する事で誰かに何か聞いて欲しかったら、まず相手に共感してから、だということかもしれません。

 

共感力。

人を動かすにはここが肝。

 

他に重要な要素として、シンプルである事。

シンプルでありながら、単純ではなく奥深い。

これは私の目指したい方向です。くだらないのですが、自分の中に基本方針5項目ってのがありまして。

 

1 俯瞰できること

2 感情的にならないこと

3 友達は大事に

4 変化は楽しむ

5 シンプルでいること

 

こんなことでも自分自身に謳ってあげないと、私はどーもごちゃごちゃしてしまうんです。表面には出にくいタイプですが、感情的でネガティブで保守的で執着しやすい。

そこから離れることができるように、行き詰ったら基本方針を念仏のように唱えるんです。(笑)

 

ガーさんのようなあたたか味がありながら、なおかつ理路整然としているプレゼンには遥かに遠い私の思考。まだまだそぎ落としていけるかな。その前に無駄に気が付かないといけません。

 

 

 

夫婦でいることの意味

父が事故で入院して、母が病院へ日参して世話をしている。

 

私が小学生の頃には両親は既にあまり仲が良くなかった。父は単身赴任で3,4年ごとに海外へ行き、たまに日本に帰ってくるという半母子家庭のような生活をしていた。

仲良くなくても、冠婚葬祭、学校の行事等は淡々とこなす父と母。

父が用意している赴任前のスーツケースに避妊具が入っていても、「男だからね」的に「日本製はいいらしいわ」と表情変えずに空港まで見送り、責めることなく、時々手紙や日本食を送ってあげていた。

二人で仲良く何か一緒にする、とか両親が2人で楽しそうだな、とかはあまり記憶がない。

母は多分、金銭的な面、父親という存在が私には必要であったろうことで自分の気持ちは一番後回しにしてきたんだろうと思う。

かといって、母には悲壮な耐える女、みたいな感じはない。

時々カラリ、と毒を吐いたり、友達と遊びにいったりどこか自由な感さえある。

 

ここへきて思うけれども、夫婦とは最早好きとか嫌いとかじゃないのかもしれない。

生活共同体。

私自身が経験した結婚はどこまでも自分の気持ちに忠実でありたい、という結婚だった。いかに自分がどう感じるか、っていう。自分どう感じるかを相手に伝えるのは大事なことではあるけれど、ある意味私の気持ちを受け取ってというエゴでもあるし、支配でもある。

母はその点では私とは違うのだろう。

 

あれだけ酒にのまれて好き勝手にしている父を世話できるのは愛というより義務感からだと思うし、それは長い間夫婦として過ごしてきた慣習みたいなものなんだろうか・・・・

 

結局、恋愛どうのこうのいっても、それは一時の感情のうねりでそれが一生続くことはない。男女の間で最も大事なことって、自分の人生を任せられることなのかしら・・・と、母を見て思う。

幸せなのかどうか、はよくわからない。でも、母がよければそれでいい。

 

 

 

半熟卵女

9月。

前回から1ヶ月経っているのが恐ろしい。

8月というのは私にとってはぽっかり穴の空く時期で、仕事のピークを過ぎる子供たちが夏休みに突入して気が抜ける。

普段身動きできない分、反動で誘われるがままに飲みに行く、というふわふわとしている時期。

ゲスト的な知り合いとも飲んだりするので、ああ、無駄な酒と金と時間だったな、ということもある。

 

子供の友達のお母さん同士の飲み会。この時期じゃなかったら、行かなかったかな?と思うような薄い付き合いの人。

でも、ちょっと面白そうかな?と思ってたのだけども。

 

「わたしさー、学生の時から女同士で一緒にトイレに行こうとか誘われるのが

めんどくさくてー。女子って感じでさ?トイレくらい一人で行きたいじゃん?」

 

・・・・おっと、久々に登場。自称サバサバ男前女。

実は、こういう女こそ一番メンドクサくて女っぽかったりすんだよ!

 

(余談ですが、男性経験がないとある女性が、私男っぽいからさ!と

豪語しているのを見て男性を知らないのに自分を男っぽいというのは

なんだか不思議な感じがするなあ、と思ったことがあります)

 

この裏に実は誰からも「おトイレ一緒にいこ!」に誘ってもらえなかった

捻じれた心理が隠れていたりして、まんま言葉通り受け取ってはいけない、それこそ

怖い女の世界が潜んでいたりする。

(実際に一人が好きな人もいますので、そのあたりは普段の振る舞いから判断するしかありません)

 

トイレに一人で行きたい、といっている人に授業参観一緒にいこ!と誘われたりするのは私の社交のハンドルが音痴だからなのでしょうか・・・・

女性らしさに気を遣っている人こそ、お互いの関係の距離感や空気をわきまえている気がしますけども。

見た目の殻が硬派でも中身はドロッとした半熟卵女。

味付けによってはお互いにいい関係になれるんかしら。

 

 

 

 

愛は証明されたんでしたっけ?

 

「ぼくは愛を証明しようと思う。」

週刊金融日記、藤沢数希の恋愛工学がついに本になったのね・・・とどこか怖いものみたさで読みました。

恋愛工学とは、どれだけ最短距離で確実に多くの女性と関係を持てるか、のハウツーみたいなもの、っていえばいいのかしら。

 

非モテコミット、フレンドシップ戦略、友達フォルダ、ヒットレシオ、タイムコンストレインメソッド、スタティスティカル・アービトラージ戦略、セックストリガー、ACSモデル・・・

 

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恋愛工学用語、面白い!

いかに女性の警戒心を解いてコンプレックスに訴えかけて、相手に選択肢があるようにみせかけ・・・コントロールの主導は実はこちら側、みたいな心理作戦はなるほどなあ、と思うし、何でもない会話をしながらも実は計算されていて、初めから回答が導き出されるように仕組まれていたりとか。・・・へえ、って素直に関心。

女性の心理をよく見抜いていると思った。

 

これは、男性は一度読んだ方がいいのかも。

ザ・技術。数多くセックスするための技術。

モテることを目的としたいならその技術を習得するのは別に悪い事じゃない。それはテニスやゴルフがうまくなりたい、って思うのと同じ心理じゃないかと思う。

恋愛だのあーだのこーだのいっても、男性性って数多くメスと交尾したい、という本能には逆らえない生き物なのだなあ。

私の彼は浮気なんて絶対しない、私だけを愛しているの!っていう脳内お花畑の自称女子力高い人は現実を知るために、穴に竿さすまでの恋愛ゲームがしたい男性は効率上げるために必読。

 女性だってルールズだの小悪魔本だのあるわけで、どっちもどっちだな。

 

で、結局お互いばかしあって何がしたいんだっけ?