ロードオブウォー
ニコラス・ケイジ主演のロードオブウォーを観ました。
ずっと見たかったんだけども、ついつい機会を逃して10年目にして
やっとみれた、っていうえらく長い片思いをしていたような気分です。
武器商人ビクトル・ボウトがモデルだといわれるこの映画。
興味深い。本当に。ビクトル・ボウトは2004年に逮捕されたようですが、
彼のいたポジジョンは誰かが埋めているはずだし、このご時世もあり
ビクトルが逮捕されても世界は変わらない、この現実。
戦争の裏にはこういう事もあるのか、と。
話は少しズレますが。
日本といういう国は武器輸出三原則があって、
1共産圏には輸出しない
2国連決議にて武器輸出が禁止された国・地域へは輸出しない
3国際紛争の当事国、またはそのおそれがある国・地域へは輸出しない
・・・・ってなことになってる。でもって、日本では戦争が今のところないのもあってすぐそこにある世界ではないような気がしてしまうのですが。
(この武器輸出三原則については本を読んでいるのですが、自分の専門分野と全く違うのでちいとも頭に入ってきません。私の頭が悪いだけなんだけど!)
この武器商人、死の商人が暗躍しているのが事実。核の闇マーケットも近くで動いているのだろうし、北朝鮮あたりは日本より数段進んでいるんでしょう?
こうやって日本が平和なフリをしていられるのはいつまでなんだろう、って怖くなります。武装することに賛成ではないけれども、武器を輸出しないということは、開発をしない、ということ。有事があった時には時代遅れの防衛しかできないかもしれない、ということですよね。
この映画、見ておいてよかったと思う。
↑
映画のモデルになったビクトル・ボウト
ぷんすか
アナと雪のなんとかでそこいらじゅうで「れりごー、れりごー」・・・
もう、いい加減飽きました。嫌いじゃなかったのに、嫌いになりそうです。
ディズニーは偉大です。ディズニーが悪いわけじゃない。ディズニーランドが悪いわけでもない。
私が苦手なのはディズニーのぬいぐるみやらであふれた賃貸マンションの出窓とか、ディズニーランドのパレードやアトラクションを綿密なスケジュールを立てて回ったりする事を私に強要する大人です。
ディズニー嫌いな人なんていない、とか思わないように。
ほっといてくれい!
リッチなのかプアなのか
クリスマスに電飾を競う住宅の一角がある。
実家近くの新興の住宅地。
でんこに怒られそうなピカピカとケバケバしいイルミネーション。
こういうデコレーションを見ても大した感動のない私は母に「あんたは生活をリッチにできない女だわね」と有り難くないお小言をいただいたりする。(母さん、貴殿の子ですから)
☆☆
昨年、雪がたくさん降った。びっくりするくらい。こんなに東京で雪が降るのを見るのは久しぶり、っていうくらい積もった。
雪かきが大変で、近所中で協力して駐車場やらの除雪をした。
この雪かきというのは妙なことに住んでいる人の人間性をはっきりさせる。きちんとしている人、雪の後の凍った路面が危険な事を考えられる人は雪が凍る前に作業を終わらせている。
クリスマス電飾に凝った住宅地周辺は雪が凍る翌日の朝になっても除雪していなかった。そこだけが異様に浮いていた。
クリスマスのイルミネーションにこだわる気持ちはあっても、雪かきする気遣いはないわけだ。
なーんともいえない残念な気持ちになる。
母にいわせると、「見栄ばっかりの下衆の集団。怪我すればいいのよ」。身も蓋もない。あれ、さっきまで私を非難してたじゃないですか、母さん。
電飾くらいで生活がリッチになったつもりでも、中身がプアじゃだめじゃんか?
今年も雪が降ったとしても、あの住宅の一角はゲスアワーなんだろな。
れんげ
ファミレスで一人メシは孤独か
年末にファミレスで1人で鍋を注文して食べているおじいちゃんをみて、胸がせつなくなった
....という投稿を目にした。
実際には1人暮らしで孤独な老人なのかもしれない。
でも、年末年始に心ない厄介な自分の息子娘やら、うるさい孫や親戚やらから逃亡して、やっと心落ち着いて鍋を食べてたかもしれない。単に1人のが気楽、っていうタイプは結構いると思う。
ファミレスで一人メシは孤独なのか?
せつなく感じるのはそういう風に解釈する側の状況だろう。
自分の親や祖父母に不義理をしている罪悪感。その人の心情がそこにでている。
私がもし、年配の方が一人でファミレスで食事をしているのを見かけたとしてもせつなくは感じないのは、私が1人で食事をするのに抵抗がない事と1人でいる事が必ずしも孤独だと限らない、と思うからだ。
誰かと過ごす事が億劫な時もあるし、気兼ねせずにサッサと食事をしたい、というのもあるだろう。
けれども、そうったせつない感情を持っている人というのはなんだかピュアで素直な種類の人種という気がして、私にはなんだか居心地が悪い。それでいて、なんか眩しい感じがしたりするのだ。
れんげ
2014年の終わりに
年末なので、とりあえず一年の振り返りと、来年の方向を。
今年は去年に比べたら人との出会いの数は減ったけれども、出会った人たちとの繋がりを少し深くできたような気がする一年だった。
もちろん、その繋がりに動揺したり違和感があったりもしたけれどお互いに違う人間なんだな、という事が受け入れられる入り口に立った気がする。まだまだ先はどうなるかわからないし、どんどん変化するだろう。
安定する事は考える事をやめてしまう。変化に抵抗して何もしなくなってしまう。
来年はもっと変化を楽しめように。安定や我慢は成長を妨げる原因。
だから、考えることを止めない事を目標に。
あと、もう一つ目標をあげるとしたら、素直に、かな。(笑)
来年もよろしくお願いします!
れんげ
バランスゲーム
仕事、子供、趣味、恋愛、友達・・・このカテゴリがまんべんなく回ると気分が落ち着く。仕事ばっかりでも、育児ばっかりでも、つらい。恋愛にしても、そればっかり、っていうのは無理だ。大体この数年は子供と仕事にほとんどを取られてしまい、自分の要領が悪いのだけども、どうにもしんどかった。
最近、子供が成長してきたおかげで自分の時間が持てるようになってきたのが本当にうれしく感じる。子供の成長を喜ぶより、自分の時間が持てることがうれしいっていうのは母親としては欠落しているな。
私は気が多いのか何かに一極集中というのが苦手で、あまりひとつの事を集中してやりすぎてしまうとなんとなく居心地が悪くなって、気持ちのバランスを欠いてしまう。(結局はなんの一芸にも秀でることなくきてしまった・・・)
どんな物事でも、いろいろミックスされている方が落ち着くような気がするし、
年齢や性別、人種や言語がいろいろ混ざっている方が楽しかったりするのだ。
☆☆☆
クリスチャンではないけども、先日、教会のイベントに参加する機会があり、子供と行ってみた。現代風にアレンジしたミサという名のショー、ミュージカル等素晴らしいと思った。いいな、ああいう素直さが自分に足りないな、と改めて思うし、
前向きな姿勢とストレートな明るさに気圧された。
しかし、なんというかディズニーランドに行った後の気分によく似ていると思った。(うまく説明できません)はっきりいえば妙な気分だった。
みんなが同じ方向を向いているような感じが苦手なせいなのか、一極に集中しているような気がするからか。ただ、これは私がよく知らないせいもあるだろうし、なんともいえない。
バランスを取る事に気を取られ過ぎて、なんか大事なことを見逃しているんじゃないかと思ったり。(自分の気持ちの中にです)
そのうちその気持ちの正体が分かる瞬間がくるだろうか。
れんげ
同窓会はタイムマシーンではない
学生時代はクラス会といった飲み会をしょっちゅうやっていたが(暇だからさ)、就職して、結婚やら出産やら人生のステージが変わり始めるとなかなか集まれず・・・
幹事を引き受けていてくれた面倒見のいい女の子も3人も子供がいたりで、もう10年以上会ってないなんてザラになってしまっている。
それでも仲のいい友人とは会っているのでそんなに必要もないな、知り合い程度の関係なのに、いろいろ聞かれたくもないし、などと思う。いちいち自分のイベントを説明するのも億劫だし。
大体、子供を産むと女性は変化する。一番の関心事は子供になるし、子供を通しての
いわゆる近隣に住む「ママ友」が育児期間中はもっとも優先順位が高くなってしまう。学生時代の友人の順位は必然的に落ちる。クラス会などやってる時間はないのだ。
でも、子育ては永遠ではない。
子供は育つし、離れていく。時間を持て余すようになるけど、ママ友は子供が有ってのおつきあい、で、昔の友達がなつかしくなる・・・で、同窓会なんかのハガキが来ちゃう。
40歳くらいって、ある意味分岐点なのかもしれない。
男性はひとかどの人は要職についたりして更に人脈が欲しい頃だろうし、
女性は育児から手が離れて自分の時間が持てるようになる頃だろう。
しかし、今さらの同窓会なんて見栄の張り合いと不倫の温床(ゲスですみません)とゴシップの他に何があるんだろう・・・と思う。
(頑張って買っちゃったけどあか抜けない服装とちぐはぐなヴィトンのバッグとか気合入り過ぎてる巻き髪と化粧とか20年前の流行りのシャネルのピアスとかお腹に張り付いているシャツとか餃子みたいな靴とか想像つく)
ハガキを目の前にして。
恐くて行けないので、不参加に〇してみた。
行った人、後日談だけ聞かせてほしい。
(ゲスですみません)
れんげ